秋田地方裁判所 昭和46年(む)17号 決定 1971年3月16日
主文
本件忌避申立を却下する。
理由
申立人において主張するところの本件忌避申立の原因は、要するに横手簡易裁判所裁判官高橋金次郎は、被告人高安専五郎に対する頭書被告事件(以下本件被告事件という)の担当裁判官であるところ、同裁判官は、さきに本件被告事件にかかる略式命令請求を相当でないものと認めて公判に付したものであるが、右審査の際同裁判官は検察官から提出された本件被告事件についての証拠書類を取調べているのであつて、右証拠書類には本件公判において申立人が不同意することの予想されるものも含まれており、かかる証拠書類を取調べている同裁判官が本件被告事件の審判にあたることは、既に事件について一定の予断を抱いているものと考えられるので、不公平な裁判をする虞があるといわなければならない、というものである。
そして本件被告事件および本件忌避申立事件の一件記録によると、本件被告事件は、昭和四五年一二月三〇日横手簡易裁判所に略式命令の請求があつたが、同裁判所裁判官高橋金次郎は、略式命令をすることが相当でないと認めて、昭和四六年一月一六日通常の規定に従つて審判する旨検察官に通知した結果通常公判手続に移行したものであるが、右審査にあたり同裁判官が本件被告事件にかかる証拠書類を取調べたこと、同裁判官が、同年二月一五日本件被告事件についての第一回公判を開廷し、被告人の人定質問を終えた段階において、本件忌避申立がなされたものであることはいずれも明らかである。
そこで、本件忌避申立の理由の有無について検討する。現行刑事訴訟法は、訴訟構造の当事者主義化に伴い、いわゆる起訴状一本主義を採用(刑事訴訟法二五六条六項、以下刑事訴訟法を単に「法」、刑事訴訟規則を単に「規則」という)し、事件の審判に関与すべき裁判官に事件について予断を生ぜしめることを極力排除することとしている(法二八〇条一項、二九六条但書等)が、これはいうまでもなく憲法三七条一項の「公平な裁判所」の内容をなすものである。したがつて、この趣旨を厳格に貫くならば、申立人の指摘するとおり、裁判所が、第一回公判前において既に事件に関する証拠書類を取調べ、事件の内容を知悉しているというが如きは、それにより裁判所が一定の予断を抱いて審理に臨む虞があるから許されないといわれないでもない。しかし、後記の例に見るとおり、右の趣旨はあくまでも原則的な建前であつて、法および規則においても、これを必ずしも厳格には貫いてはいないのである。即ち、事件が上級審から差し戻され、または移送された場合の後の手続については、既に一件記録がその後の審理をなすべき裁判所に存するのであるから裁判官が審理に臨む前に予め証拠等を検討し、事件内容を知悉していることが事実上予想されるので、起訴状一本主義の精神を全うすることができず、規則もこれを前提として上級審からの差し戻し等につき二一七条一号、二号をおいており、また、規則一八七条一項が事件の審判に関与すべき裁判官は、第一回公判期日前の勾留に関する処分をすることができないとしている点についても、同条二項但書において、右の建前が緩和されているのを見ることができる。
さらに、法二〇条七号所定の除斥原因は、裁判官が予め事件の内容を知り、そのために事件について予断を抱く虞があるという右の起訴状一本主義ないし予断排除の原則をその一つの根拠としていることはいうまでもないところであるが、これを仔細に検討すれば、ほかにも予断を抱くものとして当該裁判官を事件の審判から排除するのが妥当な場合が多々考えられるにもかかわらず法が敢えて同号所定の場合にのみ留めたのは、右はいずれも、単に証拠書類等の取調べに関与したため事件内容を知つているということに留まらず、既にそれにもとづいて当該事件について一定の裁判をしているか(同号所定のうち法二六六条二項の決定、略式命令、前審や差し戻し前の原判決等)、またはそれに準ずる程度に密接に右判決等に関与した(同号所定のうち「裁判の基礎となつた取調に関与した」)といえる場合であり、また法二六六条二号の決定および略式命令以外の同号所定の場合については、右のほかに審級制度の趣旨を没却しないという要請をも考慮したうえで、これらの場合には裁判の公正を害すべきものとしているためであると理解することができる。
以上の趣旨に鑑みるとき、形式的に起訴状一本主義ないし予断排除の原則を強調する余り、裁判官が第一回公判前に既に事件内容を知つているような場合において右除斥原因にあたらない場合には直ちに法二一条一項の「不公平な裁判をする虞」にあたると解するのはいささか早計であり、具体的事案において、裁判官につき、事件に対する予断を抱いているばかりではなく、それにもとづき、或はその他の理由により不公平な裁判をする虞を抱かしめる具体的事情が存する場合、はじめて右法条に該当する余地が生ずるものと解するのが相当である。
そこで、本件事案を見るに、右高橋裁判官は、本件被告事件の一件記録を審査のうえ、略式命令不相当の結論を出したわけであつて、その結果本件被告事件につき何らかの予断を抱いているかも知れないということは推測に難くないところであるが、未だ本件被告事件について一定の裁判をしたものとはいえず、いわば単に検察官の有罪の主張を前提とした刑罰請求を一時的に拒否したにすぎないのであつて、有罪を認定したものでも、被告人に対する刑罰を量定したものでもないから、この一事をもつて一般的に被告人に不公平な裁判をする虞を抱かしめたと断定することは当を得ない。またその他に本件一件記録を精査しても、同裁判官につき何ら被告人に不公平な裁判をする虞があると認むべき具体的事情は見い出し得ないところである。
よつて、本件忌避の申立はその理由がないからこれを却下することとし、法二三条一項により主文のとおり決定する。
(伊沢行夫 穴沢成已 鈴木正義)